Kanto › Tochigi

Nasuno Yoichi那須与一

    Nasuno Yoichi was born in 1170 in Nasu, Tochigi.  He was the eleventh son of Nasuno Suketaka, who then governed the Nasu area.  His name, Yoichi, meant “remainder of one” because he was the eleventh son.  He was very good at Japanese archery since he was a little child.  His father was very surprised at his skills.  Since he practiced very hard, it was known that the lengths of his arms were different.  His archery skills became well known in a Japanese classic war story, The Tale of the Heike. In the story, he hit the target of a fan on a boat.  His enemy also praised his archery skills in the story.

写真提供:(公社)栃木県観光物産協会

Quizに挑戦!

Q1. 那須与一(なすのよいち)は弓の練習を懸命(けんめい)に行ったため、両腕(りょううで)が長くなった。( True ・ False )

Q2. 那須与一の弓の腕前(うでまえ)は平家物語を読むとわかる。( True ・ False )

日本語訳

 那須与一は1170年、栃木県の那須(なす)に生まれました。当時、那須地方を治めていた那須資隆(なすのすけたか)の11番目の息子でした。与一という名前は、彼(かれ)が11番目の息子であったことから、「1つ余り」という意味を持っていました。彼は幼いころから弓がとても得意でした。彼の父親はその腕前に非常に驚(おどろ)いたものです。練習に懸命に励(はげ)んだせいで、彼の両腕は長さが違(ちが)うことで知られていました。彼の弓の腕前は、日本の古典的な軍記物語である平家物語の中でよく知られるようになりました。それは小船の上の扇(おうぎ)の的を射抜(いぬ)いたというものです。物語の中では、敵方も彼の弓の腕前を称賛(しょうさん)しています。

解答

Q1. 那須与一は弓の練習を懸命に行ったため、両腕が長くなった。False

Q2. 那須与一の弓の腕前は平家物語を読むとわかる。True

日光東照宮

とちあいか

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