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先生方、保護者の皆様へ

NEW HORIZONは、生徒が英語の学習を通して世界に目を向け、地球市民として視野を広げることを願って制作されています。このページは、教科書に掲載されている題材をより深く知るために 、世界で活躍する人物とその取り組みを紹介しています。このページを通して、生徒がより深く世界のことを学び、今後の生き方を考えるきっかけとなることを願っています。

※このページは配布して授業でお使いいただくことができます。

教育と医療を子供たちへ

栗山 さやか さん

主な活動地域:

モザンビーク(Mozambique)、マラウ(Malawi)

関連Unit

Book 1 Unit 9 Think Globally, Act Locally/Book 3 Unit 6 Beyond Borders

Profile

 静岡県生まれ。インドやエチオピアの医療施設でボランティアとして活動した後、モザンビーク北部の貧困地域で、学校に通えない子供たちのための勉強小屋を立ち上げる。さらに自ら医療学校へ通い、医師の代わりに診察・診断と投薬治療ができる医療技術師の資格を取得。現在は、マラウイの貧困地区にも活動を広げ、子供たちの生活指導や教育指導、医療援助などの支援プログラムを無償で提供している。


    Kuriyama Sayaka is the leader of a volunteer group “Achante-mama.”  Her group helps people in the northern area of Mozambique, and the southern area of Malawi.  In these areas, some children need to work, and they can’t go to school.  Achante-mama offers education and medical care to people there.  It is sometimes difficult, but Kuriyama always tries to do her best for people.

教育と医療を子供たちへ

 私は、モザンビーク北部でNPO団体「アシャンテママ」を立ち上げ、現地の子供や貧困に苦しむ女性たちへの支援活動を行っています。モザンビーク北部の貧困地域では、毎日の生活のために、学校に通えないまま大人になってしまう人々がいます。

 彼らは読み書きがおぼつかないので、本やインターネットから情報を得ることができません。その代わりに、信憑性(しんぴょうせい)の低いうわさ話を信じてしまうこともあります。しかし時にはそれが、望ましくない結果につながってしまうことがあります。

 例えば、自分や家族の体の具合が悪くなったときに、病気が原因と考えず、呪術にかけられているからだと信じる人もいます。そのため、適切な治療を受けないまま時間が経ち、命を落としてしまうこともあります。

 アシャンテママでは、厳しい環境の中で暮らす子供たちが、1人でも多く教育を受ける機会を得られるよう、支援活動を行っています。2024年現在、モザンビークとマラウイで、子供と女性合わせて約800名を超える登録者に対して、学校に通うサポートをしたり、少しでも健康的な生活を送るための支援をしています。

2.私の人生を180度、変えた経験

 私は、静岡県の御前崎市で生まれました。田舎のごく普通の学校に通い、放課後は友達と遊んだり、ソフトボール部の活動に打ち込んだりして過ごしました。高校卒業後、東京の短大に進学した私は、都会暮らしに圧倒されながらも、日々自分のことだけを考え暮らしていました。当時の私が考えていたのは、ファッションのこと、恋愛のこと、アルバイトのことなどで、目の前のことばかり気にして生きていたように思います。

 短大を卒業し、渋谷のファッションビル「109」に勤務した後、職を転々と変えていた24歳の冬、小さい頃からいつも一緒にいた親友をがんで亡くしました。亡くなる少し前に、静岡の病院に会いに行ったとき、親友は意識がもうろうとする中で、東京で生活する私のことを心配して、優しい言葉をかけてくれました。それなのに、私は自分のことで精一杯で、日々をなんとなく生きていました。お見舞いに行った3日後に親友が亡くなってしまって、本当に悲しくて、なぜ親友が亡くなったのだろう、なぜ私がまだ生きているんだろうと、自分のことを責めました。そして、「人は何のために生きるんだろう」と考えるようになりました。遊ぶことや流行を追うことへの興味が一気になくなり、もっと内面をみがいて、大好きだった親友のように、強くて優しい人になろうと思いました。

3.アフリカでボランティアを始めたきっかけ

 ちょうどその頃、坂之上洋子さんの『犬も歩けば英語にあたる』という本を読みました。(それまでは、ファッション雑誌を主に読んでいました)。その本を読んで、もっと世界のことを知ってみたいという気持ちになったのです。仕事で貯めたお金で、アジアからヨーロッパ、中東などを旅しました。途中、インドの医療施設でボランティアも経験し、世界のさまざまな状況を見る中で、自分の日本での生活がどれだけ恵まれていたかがわかりました。

 無職で旅をしていると困ることもありましたが、そんな時に人に助けてもらうことが多く、さまざまな国の人たちから親切を受けました。お互いに思いやり、助け合いながら生活している。そんな人々の優しさに触れて、私もいつか、困っている人がいたら、これまで受けてきた優しさの恩返しができたらと思いました。そんなある日、ヨーロッパ出身のバックパッカーから、エチオピアの医療施設で人が足りていないという話を聞きました。旅を始めた頃には、アフリカは危険な場所というイメージをなんとなく持ってしまっていて、行かないでおこうと思っていたのですが、その施設の話を聞いて、エチオピアへボランティアに行くことに決めたのです。

4.エチオピアの医療施設で体験したこと

 当時は携帯電話も持たずに旅をしていたので、医療施設の住所を教えてもらって、飛び込みで訪れました。「医療資格はないですが、ボランティアをしたいです。迷惑にならないように、何でも手伝います」とお願いしたら、「ぜひ」ということで、最初は洗濯や掃除をしたり、排泄物(はいせつぶつ)の処理をしたりすることから始めました。英語の医療用語はまったくわからなかったので、毎朝5時に起きて勉強し、少しずつできることを増やしていきました。

 その医療施設には1,000人以上の患者がいましたが、常勤の医師は1人で、明らかに人手が足りていませんでした。2人の患者が1つのベッドを共有している場合もあり、体の一部をなくしていたり、腐ってハエやウジ虫がわいてしまっていたり、残念ながらすでに亡くなってしまった患者もいました。毎日のように新しい人が運ばれてきて、病気と戦っていました。

 私がボランティアをしていた女性棟では、患者の女性たちは孤独と戦っているようにも見えました。みんな家族を亡くしていたり、様々な理由から連絡がとれずにいる場合も多かったように思います。せめて少しでも彼女たちの孤独を和らげたいと思い、彼女たちの名前を覚えることから始めました。

 毎日のように、苦しんで亡くなっていく女性たちを看取り、泣きながら働くことも多かったのですが、私が彼女たちから気遣いを受けることもあり、優しさを感じることも数多くありました。この施設でお世話をし、最期を看取った彼女たちのことは、今でもよく思い出します。

 それでも、ここで最期を迎えるのはまだ良い方で、もっと多くの人は病院に来ることもなく、どこかで命を落としてしまうとも聞きました。そこで、もっと施設の外の人々の暮らしを知りたいと思い、自分の目で見ることができたらと思いました。

5.モザンビークの北部で感じたこと

 アフリカには50以上の国があります。私たちが活動しているモザンビークとマラウイは隣り合う国ですが、雰囲気や国民性は互いに大きく異なります。モザンビークの中でも地域性があって、首都のマプトには高層ビルが立ち並んでいますが、貧困が続いている地域もあります。

 私はエチオピアを出た後、ケニア、タンザニア、ザンビア、マラウイを訪れ、2007年にモザンビーク北部の最貧困地域に入りました。その地域は当時、モザンビークの首都の人から「世界の果て」と言われていた場所で、これまでに体験したことのないような、殺伐とした雰囲気が漂っているように感じてしまいました。殺人や強盗、放火なども珍しいことではなく、私自身も何度か襲撃されて危険を感じたため、一度マラウイに戻り、そのままジンバブエ、スワジランド、南アフリカをめぐりました。

 しかし、その後、私自身の滞在中の経験から、他の地域に比べて支援の手が届いていないのではと感じた町に戻りました。現地で生活していると、さまざまな実態が見えてきます。生活が苦しくなると、治安が悪くなる地域があること、そんな中で、女性や子供たちの状況はより過酷になっていくということ、特に、悲惨な状況を日々見聞きして育つ子供たちへの心理的な影響が大きいと感じました。

 その地域は過去に内戦があり、その影響で経済的にも厳しい暮らしをする人々が多く住んでいます。自分と同じ時代に生きる人たちが、生まれた場所や国がちがうだけで、このような人生を送らなければならないことに理不尽さを感じ、自分に何か少しでもできることがないかと考えるようになりました。

6.アシャンテママの設立

 私が当時住んでいた地域は犯罪が多く、理不尽や不公平なことも多くありました。貧困の背景には、歴史や文化、環境などの要因が複雑にからみあっていて、簡単に解決できるものではないということもわかりました。アフリカにボランティアにやってくる人々の中には、現実を知り、離れていってしまう人もいます。私自身も、物を盗まれたり、現地の人から嫌がらせを受けたり、異なる価値観の中で活動するのが難しいこともあり、精神的に苦しくなってしまった時期もありました。

 ですが、そんな経験を通して、現地の子供や女性たちが少しでも安心できる場所を作りたいと思うようになり、2009年に市の特別な許可を受けて、アシャンテママの活動をスタートしました。「アシャンテママ」とは、現地の言葉で「ありがとう、皆さん」という意味で、現地の人たちがつけてくれた名前です。

 土や藁(わら)で勉強小屋を作り、貧しい地域の家を一軒一軒まわって、女性たちに声をかけていきました。彼女たちはほぼ学校に通ったことがなく、病気や衛生管理、栄養についての知識に乏しかったため、まずは彼女たちとの勉強会から始めました。

7.学校に通えない子供たち

 貧しい地域では、その日の食べ物に困っている家庭もあり、子供たちは畑仕事や水くみで忙しくしています。彼らの両親も学校に通う機会に恵まれなかった場合が多く、勉強するより働いた方が良いと考えるケースもあり、「学校に行こう」と言ってくれる大人が少ないのが現状でした。

 また、公立の学校に通うために必要な身分証明書(日本の戸籍のようなもの)を持っていない子供もたくさんいます。アシャンテママでは、身分証明書の取得を援助しているのですが、自分の年齢や誕生日を知らない子供も多いというのが現状でした。彼らの家族に誕生日を聞くと「雨が降った日」とか「農作物が少なかった頃」などの答えが返ってくることも少なくなかったです。

 そのような環境の中でも、子供たちが安心して学校に通い続けられるよう、生活や勉強に必要な物資を援助する仕組みを作ることにしました。日本の方々からご寄付をいただき、少しずつですが、子供に「学校に行こう」と言える雰囲気が広がっているように思います。子供たちが家の仕事をするだけでなく、定期的に通える場所があることは、心理的にも良いことなのではないかと感じています。

8.正しい情報を得るということ

 今、私たちがいちばん重視していることは「読み書き」です。読み書きができるようになって、自分で本やインターネットから正しい情報を得られるようになることは、とても大切なことだと感じています。

 世界にはさまざまな価値観やものの見方がありますが、正しい情報を得られないことで、時に信憑性の低い情報がうわさ話として広がり、望ましくない結果につながってしまうこともあります。現地の人々の暮らしを尊重しながらも、1人でも多くの子供たちが学校に通うことで、学びを通してさまざまな価値観に出会い、みんなが暮らしやすい社会を作っていってくれたらと思います。

 大変だと思うこともありますが、少しずつ、人々の意識も変わってきていると感じています。私も、現地の方々からいろいろな考え方を学びながら、お互いに良い影響を与えられたらと思っています。

9.これから取り組みたいこと

 アシャンテママの活動をはじめてから15年の間に、若者が普通にスマートホンを持っているような地域も増えてきています。一方で、治安が安定しない地域もあり、取り残されているような人たちがいるのも事実です。そのような厳しい環境の中で、毎日を一生懸命に暮らしている人々の支援が少しでもできればと思っています。

 現地の子供たちは、とてもかわいいです。アルプス一万尺のような手遊びをしたり、ごみを丸めてサッカーをしたり、地面に落書きをしたりして遊びます。犯罪が多い地域では子供たちの警戒心も強く、心を閉ざしているようにみえる子供もいます。写真を撮ってもらったことがないので、カメラを向けると最初は怖がられますが、次第に慣れて笑顔になってくれます。

 そんな子供たちが、1人でも多く笑顔になり、希望を持って生きてくれることが私たちの願いです。そのためにも、子供たちがみんなで勉強して、楽しくご飯を食べて、ほっとできるような場所の提供を続けていけたらと思っています。いつか、その子供たちが大人になったときに、アシャンテママの活動を通して受けた支援を思い出し、どこかでだれかに優しくしようと思ってくれると良いなと思います。優しさがつながって、もっと暮らしやすい世界が広がっていけばと思い、この先も少しずつ取り組んでいきたいと考えています。

10.NEW HORIZONで英語を学ぶ皆さんへ

 私が中学生の頃、参観日に親の前で将来の夢を発表する機会がありました。当時、なりたい職業がわからず、「人としての視野を広げたい」と話をした記憶があります。その頃は、将来今のような人生を送っているなんて考えてもいませんでしたが、当時から、条件とか、その先どうなるかを考えずに、自分がやりたいと思うことをやっていたような気がします。

 親友を亡くした後、海外に出たときには、1ヶ月もしたら寂しくなって日本に帰るだろうと考えていました。アフリカにも長く行くつもりはありませんでしたが、気づいたら9年の間、一度も日本に帰らず、活動を続けていました。

 将来のことはあまり考えていませんでしたが、中学生の頃から、海外には興味があったように思います。全く別の文化や宗教、食べ物や服装などがあることを知って、ちがう言語を話す人たちと会話をしてみたいという気持ちがありました。

 中学校で英語を学ぶさんには、自分とは全くちがう環境で生まれ育つ子供たちのことや、世界にはさまざまな暮らしがあるということに、少しでも興味をもっていただけたら嬉しいです。さん自身、友達関係の悩みがあったり、部活動があったり、家庭の事情もさまざまで忙しいと思いますが、時々ふと、別の視点でものごとを見てみると、また新しい発見があるかもしれません。本を読んで視野を広げたり、自分のことを深く考えてみても良いと思います。できるときに、できることを、みんなが少しずつやっていけば、世界はもっと良くなっていくと信じています。

 最後に、私の印象に残っている言葉を紹介します。タンザニアのどこかの施設で、壁に貼ってあったボロボロのポスターに書かれていた言葉です。


 The reason we have two hands, 

 is to use our first hand to protect ourselves,

 and the other, to help others out.


 どこで産まれたとしても、目に映る世界がだれにとっても優しい場所になってくれたらと願っています。

もっと栗山さんについて知りたい人は・・・

ウェブサイト


アシャンテママホームページ

https://www.achantemama.org/


プラ子旅する〜まだアフリカです。

(栗山さんのブログ)

https://purako.jugem.jp/


栗山さやかさん特設ページ | リツアンSTC

(栗山さんのことがマンガで紹介されています)

https://ritsuan.com/csr/sayaka_kuriyama/


◯著書


栗山さやか 著『渋谷ギャル店員 ひとりではじめたアフリカボランティア』金の星社

https://www.kinnohoshi.co.jp/search/info.php?isbn=9784323073200

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